のんけである私がニューハーフに本気で恋した話を告白します。
つい軽い気持ちで「ニューハーフとセックスしたい」と思いつき、まさかこんな展開になるとは予想もしませんでした。
お話しすることは完全なる実話です。
今、私は普通の女性と恋愛をして結婚し、子どもがいます。
まさか、私の過去を誰かに語る日が来るとは夢にも思いませんでした。(記事は下に続きます
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私が今までに本気で恋して、肉体関係を持った女性たちを下記に紹介する。
- 同い年(高校の同級生で経験済)
- 年上(大学時代のバイト先の先輩で経験済)
- 年下(社会人時代にJDで経験済)
- 人妻(社会人時代の会社のパートさんで経験済)
- 熟女(社会人時代に飲み屋で知り合ったバツ1さんで経験済)
そこで何を思ったか、ニューハーフに狙いを定め、これで完全制覇だと本気で考えていた。
しかし、当然ながら私にはニューハーフの友達はいない。そこで、「ニューハーフバーに通うこと」にした。
というのも、たまたま当時住んでいたマンション裏にニューハーフバーがあり、そこから紹介を狙うことを計画した。
しかし、その計画はあっけなく崩れるのである。
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扉を開けると、ママらしき人が現れた。
見た目は本当に女性そのもので、露出度高めのドレスを着ていた。名前は貴子さん。
(声も綺麗で顔もダレノガレみたいで綺麗で、体型はスレンダーでその辺の女性よりも女性らしい身体のライン。それにちゃんと胸もある。)
(当時、身体だけは無駄に鍛えていたため、ニューハーフ受けは抜群に良かったのである。)
『一見さん』の意味が分からなかった私は、『一見さん』を『一芸さん』と聞き間違え、一発芸的なものをしないと入店できないシステムだと思い、唯一持っていた一発芸を披露。
遠藤章造のネタであるのだが、ママの目は点になっていた。しかし流石はニューハーフ。頭の回転の速さを駆使し、強烈な返しが炸裂。
ママは爆笑していた。
そう言われ、その日はそのまま帰宅した。
それにしても、綺麗なママであった。あの顔、あのスタイルで、下には自分と同じものがぶら下がっていると考えると自然と燃えてきた。その日は、エロ動画も見ず、それだけで3回も抜いた。
次の日、お店の開店は18時であること、『一芸さん』ではなく『一見さん』、つまり誰かの紹介ではないと入れないことを知った私は、午後休を取り、15時からお店の前でママを待ち一番に入店するであろう常連さんとお店の前で友達になり、紹介してもらおうと考えた。
16時頃、ママが出勤してきた。
と言われたと同時に、「サンバのリズムを知ってるかい?」と言いかけたその時、
その瞬間に私は、ほほほい野郎からニューハーフバーの会員に昇格したのであった。
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それからというものは、話が早かった。
そのニューハーフバーでは、段違いでママが一番綺麗だった。何人かに「私と付き合って!」と、懇願されたこともあったが、その度にママが入ってきて、
と言って回っていた。
(本名を伝えても、そこからの関連はなく、遠藤くんという呼び名になってしまった…)
1ヶ月もすれば、私はママがニューハーフであることを忘れ、完全に心を持って行かれていた。
見れば見るほど好きになり、話せば話すほど心を許していった。休みの日には、パチンコに行ったり、貸し切りの温泉に行ったり、お茶をしたり、買い物をしたり、付き合う前の男女みたいな関係だった。
ある日、ママにこんなことを言われた。
(いつの間にか遠藤くんから本名に昇格していたのである。)
一緒にお風呂には入ったが、あそこの確認はしていない。でも、免許証は確かに男の名前だった。
今思えば無茶苦茶な理由だが、なぜか分からないが、そう言ってしまった。
その夜に初めての夜を迎えたのだが、もちろん付いていた。
でも、全く気にならない。一つ言えることはAVのような貴子のいちもつを無理やり触ったり、お互いのいちもつを重ね合わせてなんてことはしなかった。女性として扱った。ただ、いちもつが付いてる女性。挿入する場所が少しズレているだけ。
そして、何よりも元男だけに上手い。抑えるポイントを的確に捉える。
ただ、強いて言えば、行為するまでの準備が大変なだけ。それだけだった。
私たちはとことん愛し合った。今となっては「トランスジェンダー」の概念が少しずつ根付いているが、当時は籍を入れることはできなかった。でも、ほとんど事実婚みたいなもので、マンションを一緒に借りて住んでいたし、二人だけの結婚式もして、私は神父役と新郎役をしなければならず、二人とも笑いが絶えない結婚式だった。
彼女を側で見ていた思ったことは、女性になるため、いや、女性を維持するためにものすごい努力をしていたこと。食べるもの、飲むもの、運動、美容、服、話し方や仕草まで。茶道、華道、習字、お料理教室まで習っていた。
彼女曰く、
と言っていた。
営みが上手いから好きなのではなく、女性として努力を怠らず、美を追求し続ける姿、相手を尊重する姿勢、綺麗な言葉使い、貴子の優しい心、人生観、価値観がとても魅力的だった。料理も掃除も洗濯もすべて完璧で、本当に絵に描いたような理想的な女性だった。
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突然の別れ、そして今思うこと
そんな関係は2年後に終わりを迎える。彼女がガンと診断され、診断後2ヶ月であっけなくこの世を去った。
私は悲しみに暮れ、泣いた。人生で一番泣いた。最初は完全制覇などと馬鹿げていた私も、その時には本当に貴子のことを愛していた。籍を入れるなんてどうでも良かった。子ども要らない。貴子とずっとずっと過ごしていたい。それだけが望みだった。
貴子は私の妻なんだ!と、どんな時も思っていた。友達や家族にも貴子のすべてを話していた。考え直すように言われることもあったが、私には関係ない、カミングアウトすることで貴子も日に日に安心してくれていたのを実感していたし、どんどん綺麗になっていくのも目に見えて分かった。
逝く前、貴子が言った。
「私は男として生まれたけど、最期は女として死ねる。謙がそうさせてくれた。本当にありがとう。最高の人生だったよ。でも、一つだけ心配があるの。それは、これから謙が普通の女性と恋愛ができるのか?それだけが心配。」
私はすぐに役所に行き、婚姻届を持ってきた。二人だけの結婚式では、トランスジェンダーが認められない社会に対しての反抗なのか、婚姻届だけは書かないと決めていた。しかし、それに私は自分の名前を書き、貴子に渡した。貴子は笑いながら、弱り切った身体で起き上がり、か細い字で自分の名前を書いていた。
「時が来たら、受理されなくても役所に出す。男として生まれ、女として死んでいった、愛する女性の最愛の夫として、俺も死ぬ。」そう伝えた。
貴子のか細い字を見ると、今でも泣けてくるが、そこには色んなことから戦い、誰よりも美しく、強い女性として生き抜いた強い芯が透けて見えてくる。
あの世で貴子に会えたら、もう一度「ほほほい」ダンスをすることは心に決めている。
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